生き別れた兄との時間~4人きょうだいの長男として育ったけど実は次男だった話

こんにちは!
とーかいりん男爵こと東海林大介です!
今回は、生き別れた兄とのことを書きます。

4人きょうだいとして育ってきてみたら、実は5人きょうだいだった!という話です。

ちょっとややこしい話に思われがちですが、ましてや暗い話でもなく、「人生っておもしろい!」と感じている話です。

母は1人で父が2人

唐突ですが、とーかいりんには、母が1人、父が2人いるんです。

ちょっと語弊があるので、正確に書くと・・・

母は2回結婚していて、ボクは1番目の夫の子なの(だと思っていたん)です。

お父さんの顔は知りません。

物心ついた時には、東京の大山というところにある「かないくぼ保育園」に通う生活でした。

当時は、お母さん、おばあちゃん、ボク、2つ下の妹の4人ぐらし。

2番目の夫(育ての親で、今のお父さん)がやってきたのは、ボクが幼稚園の年長に上がるタイミング。

日野市の豊田に引っ越して、おばあちゃんは埼玉にある母の兄の家に住むことになったような記憶が・・・

そこから、お父さん、お母さん、ボク、妹の4人の生活が始まりました。

当時の印象として覚えているのは、「新しいお父さん」が来たんだな、という感覚。

「本当の」お父さんではないんだけど、ボクにとっては間違いなく「お父さん」。

そんな感じで、違和感はなかったんですよね。

子どもにべったりというタイプでは全くなく、仕事大好き、お母さん大好き、というちょっと寡黙でゴーイングマイウェイな、そんな人です。

小さい頃に遊んでもらった記憶は、あまりないかも。

日野で弟が生まれた

1年間の日野市生活の間に、6歳離れた弟が生まれました。

純粋に兄弟が増えてうれしかったですね。

まあでもボクもまだ子どもでしたから、あんまり赤ちゃんにやさしくはできてはいなかったかもしれないです。

嫉妬とか、そういう感情はあったのかな・・・

と考えても、それはなかったような気がします。

我孫子で妹が生まれた

小学校に上がるタイミングで、千葉県の我孫子に引っ越しました。

根戸小に通って2年生になった時、8歳差の妹が生まれたので、これで4人きょうだいが完成です。

生まれるタイミングもバランスが良く、男どうし6歳差、女どうし6歳差で、女を2つ下にズラしたフォーメーション。

それからは、そのまま順調に(?)きょうだいは成長していきます。

押し入れの手紙

あれはたしか、大学生の頃だったかな。

家の押し入れで何かを探していた時に、手紙を見つけてしまったんです。

宛名はお母さんです。

差出人は、見たことがない男性の名前。

これは・・・

もしや・・・

不倫の・・・(当時は「浮気」という言い方の方が一般的だった?)

と思いながら、ダメとは思いながらも開けて読んでみると・・・

「お母さん」という言葉が書いてあるではありませんか。

一瞬混乱して、知らない男性がお母さんのことを「お母さん」と呼んでいる・・・

もう一度宛名を見てもやっぱり、お母さん宛て。

ということは・・・

ボクには兄がいる?

そんな疑問を誰に聞いたらいいか、わかるわけもなく。

見つけたことを知られないように、そっと元の場所に戻して、誰にも言えずに月日は流れます。

おばあちゃんと飲み友達の妹

上の妹が大学生になって酒が飲めるようになってからというもの、度々、同居していたおばあちゃんと飲みに行っていました。

その場では、おばあちゃんの昔話を聞くことができていたようです。

ボクは当時、そういう昔話にはあまり興味なかったんですが、激動の時代を生き抜いてきたおばあちゃんの話、今となっては聞いてみたい。

でも、もうそれは叶わないんですけどね。

妹がそんなおばあちゃんと、サシ飲みしてきたある日の帰り、興奮気味にボクの部屋にやってきました。

「お兄ちゃん!私たちにはお兄ちゃんがいるみたいだよ!」という感じです。

ボクもそれを聞いて、記憶が薄れかけていた「あの手紙」のことを思い出して、興奮して妹に話したんです。

やっぱりそうだったのか・・・

でも、ボクたちにはどうすることもできないし、「会いに行く」なんてことを思いつくこともなかったので、またすぐに元の日常が戻ってきます。

夫3人、父3人

冒頭で母には「夫が2人」と書きましたが、実は3人だったことがここでわかります。

ということは、ボクは1番目の父の子ではなく、2番目の父の子で、今のお父さんは3番目の夫だったんです。

ちょうどこの頃です。

お父さんが「育ての父」であることを明確に意識したのが。

大学4年生の時に、フロリダのディズニーワールドに行こうとして、初めてパスポートを作った時に、取り寄せた戸籍。

そこには「養子」と書いてありました。

わかってはいたことですが、改めて見ると、「そうなんだ」って思いました。

決してネガティブな感情ではないけど、「長男」と書いてある弟とはちょっと「違う」のだな、という風に思ったのかな。

家族に紹介された

いつの頃からか、なんと兄は戸籍をたどって、おばあちゃんとお母さんに会いにきていたようなんです。

その後も交流があったようで、ついに初対面をする日がやってきました。

どんなタイミングだったかは記憶が曖昧ですが、柏の中華料理屋さん(だったかな?)で、ボクたち7人家族(祖母、父、母、きょうだい4人)と、兄とその奥さんで食事をしました。

事情があって1番目の夫に引き取られて、聞くだけでもすさまじい環境で育ってきた兄。

そんなことは想像ができないような素敵な男性でした。

そして、兄の登場と同時にできた人生初めての「姉」という存在。

兄の妻なので、「義姉」ではありますが、この人がまた素敵な人なんですよね。

ものすごい逆境にいたのに、こうやって、まっすぐに育って、素敵な奥さんと暮らしている。

それを目の当たりにして、「今の自分」はやっぱり自分の心がけの結果なんだなって、改めて強く思った記憶が残っています。

年末年始やお盆に集まることはあった

ボクたち家族は元々、年末年始やお盆に実家に集まって、わいわいやっていました。

新しくできた家族2人も、その場に来てくれることも増えて、7人家族+2人で9人での集まりです。

そのうち、妹に子どもが生まれ、ボクにも子どもができて、全員集合すると11人です。

その度に席が近くなって、話すことはもちろんありました。

でも、みんなで話すような場だからこそ、あまり深い話をする機会もなかったんですよね。

サシ飲みの誘い

そんなある時の実家集合の時に、ボクがお客さんに配っている「とうかいりん通信」を何部か渡したんです。

それを読んだ兄がおもしろかったよ!と連絡をくれたのをきっかけに、2人で飲みに行くことになりました。

場所は横浜。

やっぱり2人で話すと、今まで話せなかったこととか、知らなかったこととか、出てくる出てくる。

「やっぱり、2人で飲みに来てよかったよね」というのが、2人の共通の感想でした。

中でも、考え方とか生き方とか、そういうのが似ていて、話していてとても楽しいんですよね。

ということで、盛り上がったついでに、これから1人ずつ呼び出して「徹子の部屋」をしよう!というアイディアが生まれました。

どういうことかというと、兄とボク以外にきょうだいが3人、それぞれ結婚したので、配偶者も入れると6人。

その6人を1人ずつ呼び出して、2人で掘り下げていこう!という企画です。

最終的には、兄とボクの配偶者も1人ずつ。

いや、そこは4人で飲もうか、とか、そんな話になっています。

徹子の部屋をやってみた

1番手は下の妹の夫。

田町で焼肉を食べながら。

2番手は弟。

御徒町で羊料理を食べながら。

3番手は下の妹。

町屋で焼肉を食べながら。

4番手は上の妹。

だったんですが、事情により来られなくなったので、兄と2人で野毛飲みをしました。

きょうだいが多くてよかった

とまあ、こんな感じで楽しくやってます。

これまで書いてきた、「母には夫が3人いてボクは2番目の夫の子」という話を人にすると、色んな感想をもらいます。

「すごいね!」「お母さんモテるね!」「よくまっすぐに育ったね」「実の子と差はつけられなかった?」とかとか。

実に様々で、人によって感想は違うんですよね。

(育ての)お父さんは、ボクにとってはお父さんですし、小さい頃から実の子である下の2人とも別け隔てなく、厳しく育ててくれました。

「お父さんが違う」ということは一般的には、ネガティブな環境だと思われがちのようですけど、その環境をどう捉えるかだけだと思うんです。

あくまでもボクはボク。

どんな環境でも(と言っても、悪い環境だったなんて思ったことないんですよ)、自分がどう捉えてどう動くかだけだと思うんですよね。

ただそれだけのことです。

でも、ボクにとっては、とっても楽しい感じになってきているので、兄がまた転勤でどこか遠いところに行ってしまう前に、きょうだいの絆を深めていきたいと思っています。

今回は、大人になってから現れた兄とのことや、ボクたちきょうだいのことを書きました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。




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