「自分は正しいと誰もが思い込んでいる」という前提で相手に向き合うことが必要なのかもしれない

こんにちは!
とーかいりん男爵こと東海林大介です!
今回は、自分は正しいと思うことをそのまま相手に投げかけることで生じる問題についてです。

ふだんはやさしいけどちょっとだけ気が強い妻と、言葉足らずなのに主に直球しか投げないとーかいりんが、ちょっとだけぶつかってしまったことをきっかけに考えた話です。

人の言動が気になったら

人の言動を見て「気になるなぁ」「なんかイヤだなぁ」と思ったら、あなたはどんな風に指摘しますか?

もちろん、「指摘しない」という選択肢もあるでしょう。

そんなことに気が付いていないかのようなふりをするのが、一番角が立たないかもしれませんね。

(気が付いていて気になるけど)気にしていないことを装う、といったこともできると思います。

だって、人からどう思われるか?を気にする人は、指摘した後に、その人からどう思われるかが気になりますもんね。

指摘された人は少なくとも、指摘してきた人に対して「100%純粋に感謝する」なんていうことはあまりないでしょうから。

よほどの恩があって、慕っている人からの指摘、なんていう場合は別でしょうけどね。

そのくらい人は、「他人から何かを指摘されること」を、あまり気持ちのよいものではないと感じる傾向にあるみたいです。

それどころか、指摘してきた人を恨むことに発展したりすることも。

では、「指摘する」とう選択肢を選ぶ人はどうでしょう。

少なくとも「自分は正しい」と思うから、相手に「こうやった方がいい」って伝えるんじゃないかな、って思うんです。

でも、その結果は・・・

必ずしもうまくいくとは限らないですよね。

ここが難しいから、「指摘しない」という選択が無難だという気持ちはよくわかります。

「私は正しい」のか?

私は正しいのか?

その答えは「YES」だとしましょう。

まわりの誰が見ても「正しい」と思うことだとしましょう。

でも、「正しさ」をそのまま伝えることが、解決につながるとは限らないのです。

なぜなら、言った方は「正しい」と思っていても、言われた方は「正しくない」と思っている可能性もあるからです。

もう少し若い頃ボクは「自分がこうだから、人も同じだろう」という思い込みが、今よりも強かったと思います。

でもそんなわけないですよね。

色々な価値観や育ってきた環境などの違いなどもあるので、自分と他人がまったく同じように考えるなどというのは、ありえないはずです。

とっても共通点が多くて、気のおけない友人でさえ、ある特定の部分においては全く正反対の考え方をしている、なんていうことも珍しくはありません。

私は正しくないかもしれない

だから「正しいから」と正義を振りかざす前に、「もしかすると相手も自分が正しいと思っているかもしれない」と想像してみると、結果は変わってくるのかのかもしれません。

そうすれば、「正しさ」をそのまま伝えるのではなく、相手の「正しさ」に寄り添いながら、自分の意見を投げかけることができるかもしれないですよね。

「それはイヤ」を「こうしてほしい」に変えてみる

「あなたの言動がイヤ」と言われたら、相手も「イヤな」気持ちになるかもしれません。

責められているようにも感じられてしまうかもしれません。

だから、「イヤだな」と思ったら、その代わりに「こうしてほしい」と伝えてみることにしました。

しかも「こうして欲しい」と伝えた後にどうするかは相手に委ねるしかないのです。

変わってくれるか、変わってくれないかは、相手が決めることなのです。

変わってくれても、変わってくれなくても、気にすることはありません。

ただ伝えるだけでいいんです。

ボクのその気持ちを大事にしてくれる人なのか、そうでないのか、それだけは判断できますよね。

あとは、付き合い続けたいのか、付き合うのはもうやめようと思うのか、ということも自分だけで判断できることです。

こうやって、自分主体で

「気持ちを伝える」

「それをどうするかは相手に委ねる」

「その結果を受け止めてどうするかも自分次第」

という生き方をすれば、いちいち人の言動にとらわれることもなくなるのかもしれませんね。

なんていうことに気が付いた、42歳の夏。

おせー!って思ったりもしますが、きっとずっと気が付かない人もいると思うので、今のうちに気付いておいてよかった!

と前向きに捉えておくことにします。

だって、「今日」がこれからの人生で「一番若い日」ですから。

「何を言うか」より「誰が言うか」

また別のこんな考え方もあります。

「誰が言うか」が大きく影響する、ということ。

同じことを言っても、「そうだよね」と受け入れられる場合と「おまえが言うな!」と退けられる場合のように、真逆の結果になることもあるでしょう。

もしくは、「言った人のことを嫌い」という理由で、たとえ相手は心の中で同意していたとしても、受け入れてもらえないことだってありそうですよね。

ボクの仕事もそうですし、プライベードでもなんでもそうだと思うんですけど。

人間誰しも、自分のことは「正しい」と思う機能が備わっているようです。

とーかいりんの愛読書、デール・カーネギーの「人を動かす」によると、連続殺人犯のなんとかっていう人でさえも、悪いことをしたとは思っていなかったのだとか。

それならなおさら、善良に生きている人は、表面上は間違いを認めているように見えても、「本当はそうじゃない」などと、認めていないようなケースも多くあるかもしれませんね。

無駄な敵対は避ける

とーかいりんは、思ったことを口にするし、イヤなものはイヤという生き方をしているので、どうしても敵が増えやすいと自覚しています。

もちろん、万人に好かれるなど不可能だとわかっていますし、人に媚びるつもりもありません。

でも、どんな人とも敵対しないように、友好的に関係を築けるように、努力をする余地が大いにあるという自覚もあります。

「自分を曲げない生き方をしつつ、ムダに敵対関係を作らずに生きていく」というのが理想的かな、というのが今の気持ちです。

人生、いくつになっても勉強ですね。

今回は、妻とちょっとケンカをしたことをきっかけに書き始めたんですが、色んな方向に飛んで、「正しいことを伝える」ということについて書いてみました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。




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