プロフィール

基本情報

東海林 大介(とうかいりん だいすけ)

【生年月日】1977年(昭和52年) 9月9日(金)
【サイズ】身長175cm 体重67kg
【家族】妻 息子 猫2匹
【血液型】A型
【動物占い】愛情あふれるトラ
【サイグラム】マインド11
【出身地】千葉県我孫子市
【居住地】千葉県千葉市
【仕事】保険代理店(生命保険13社、損害保険5社)

【爵位】シーランド公国 男爵(バロン)

とーかいりんの考え方が特によくわかるブログはこちら
https://rinsuke.com/category/way-of-thinking/

住んだことがある場所

・埼玉県川口市生まれ
・大山(東京)で保育園時代
・豊田(東京)で幼稚園時代
・小学1年から25歳まで千葉県我孫子市
・桜木町(横浜市中区)で初めての一人暮らし
・大森(東京都大田区山王)に5年
・千葉市中央区(千葉駅の近く)に3年
・現在は千葉県千葉市在住

学歴

かないくぼ保育園(東京都板橋区)
→日野市立第二幼稚園(東京都日野市)
→我孫子市立根戸小学校(千葉県我孫子市)
→我孫子市立久寺家中学校(千葉県我孫子市)
→日本大学習志野高等学校 (千葉県船橋市)
→明治大学法学部法律学科卒業 (東京都)
→青山お父さん大学卒業(2019年)

我孫子市立根戸小学校(1990年3月卒業)

友達は多く、スポーツ大好きで活発な子どもでした。

学級委員に推薦されても断らずにやるタイプ。

小学2年の秋から少年野球に入り、軟式野球を始めました。

この頃からの友達は、今でもなんでも歯に衣着せぬ話ができる、かけがえのない友達です。

ポジションは(あまり球が飛んでこない)ライトで8番なのでライパチくんでした。

たまにピッチャーもしたりしていました。

小学1年から中学3年までピアノを習っていました。

野球少年とーかいりんはピアニストでもあった|出会いから別れまで|レパートリーも紹介
https://rinsuke.com/piano/

当時はピアノをやっていると男のくせに!とはやし立てられたので、人目を気にして教室に入る時はこっそりでした。

レパートリーは「別れの曲」「ノクターン9-2」「軍隊ポロネーズ」「トルコ行進曲」「エリーゼのために」など。

高校になってから披露して、男なのにすごい!という視線に報われました。

実家を出て、鍵盤から5年離れ弾けなくなりましたが、いつかまた弾きたいです。

4人兄弟の一番上として、自由気ままに育ててもらいました。

2歳差の妹、6歳差の弟、8歳差の妹がいます。

それに後から登場した8歳差の兄。

今ではみんな仲良くやっています。

我孫子市立久寺家中学校(1993年3月卒業)

野球部に入り野球の楽しさと、先輩から礼儀を学びました。

学区にコンビニが1件(しかも23時に閉店)というのどかな環境。

縄跳びで学年2位。三重はやぶさ、三重ゼロセンなどが得意でした。

幸運にも勉強しなくても授業は楽勝なタイプでしたが、受験勉強はまじめに頑張りました。

学区で一番の公立高校「東葛高校」に落ち、合格した日大習志野と、専修大松戸のうち、偏差値(当時の)だけで選んで進学しました。

日本大学習志野高等学校(1996年3月卒業)

優秀な同級生に圧倒され、一気にできないグループに転落(下から数番目も経験)しました。

追い打ちをかけるように、数学、物理、化学、すべて大の苦手だったにも関わらず、特に自分の進路の希望がなかったため、2年生からは父に有無を言わさず理系に進まされ、案の定、更に落ちこぼれに。

初めての赤点も取りました。

なんとなく法学部に行きたいと思い、理系の授業を全てボイコットして図書室で勉強していました。

その結果親が呼び出され、本人に事情を問うと、弁護士になりたいから文系の勉強をしていると。

親も納得したので、そのまま理系の授業は便宜を図ってもらい、何とか卒業できました。

野球部では練習があまり好きではありませんでしたが、素振りをすると打てることがわかり、3年生になってから少しだけまじめに。

ポジションはピッチャーをクビになった後にセンターへ。

足が速いからセンターではなく、レフト、ライトのライン際に切れる打球が捕れないからという理由でした。

全体練習が終わると、自主練習をしている仲間を尻目にとっとと帰路につき、毎日コンビニでガリガリ君を片手に北習志野駅まで歩く毎日でした。

明治大学 法学部 法律学科(2001年3月卒業)

弁護士にでもなるか、ならなくても就職にも有利だろうという安易な考えで法学部に入りました。

現役時代の受験は全滅。1浪してなんとか滑り込みました。  

体育会の少林寺拳法部に入部するも入部前の話とは大幅に違い、上下関係の厳しさに2週間で逃げ出しました。

女性を守るために強くなりたい、という気持ちはありましたが、体育会のノリは高校まででおしまいにしたかったのです。

弁護士の夢も入学1か月で無理だと悟って(1+1の答えが無数にある世界に幻滅)しまい、出席を取る授業も少なく、大学に行くのは月に1度くらい(お父さんごめんなさい)でした。

卒論もなく、助けてくれる友達もいて、なんとか卒業することができました。

ディズニーランドのアルバイトと銀座の飲食店を掛け持ちし、必然的に一緒にすごすのはアルバイトの仲間となり、楽しく過ごしていました。

青山お父さん大学(2019年2月卒業)

青山お父さん大学について書いた記事はこちら

「青山お父さん大学」での一番の収穫は「子どもとの思い出を文字に残す」ということ
https://rinsuke.com/aoyama-oton-college/

 

「抱っこ」~青山お父さん大学の課題で書いた息子との思い出の作文
https://rinsuke.com/dakko-aoyama-oton-college/

職歴

大学合格と同時にディズニーのアルバイトを始めました。

プレジャーアイランドキャンディーズ

裏方としてお菓子の在庫を整理したり、表に出ていってはペロット(棒付きアメ)をツリー状にきれいに並べたりしていました。

どうしても表の職場で働きたいと思い、一旦退社して面接を受け直しました。

この当時、年間パスポートを2年間所有して、勤務の前後に遊びにいったりしていました。

時期はちょうど、ディズニーランドの15周年の頃です。

れすとらん北齋

面接でスターツアーズを希望するも、一向にオファーは来ず、渋々フードサービスの仕事へ。

ディズニーでは異色のファミレスのような和食レストランで、3年半接客をしていました。

妻との出会いの場でもあり、思い出深い職場です。あの時、あの選択をしておいてよかった!

この時の友人ともいまだに仲が良く、当時はみんなでフロリダのディズニーワールドにも行きました。

SSコロンビアダイニングルーム

大学卒業後、ディズニーシーのオープンが迫ってきたタイミングで、就活に敗れたこともあり、どうしてもグランドオープンに関わってみたいという思いで仕事を継続。

シーへの異動後はトレーナーとして1年働きました。

新しいテーマパークのレストランを1から作りあげるという貴重な貴重な経験をさせてもらいました。

それについて書いた記事はこちら

ディズニーシーで働いていた時に着けていたネームタグの間違いに退職後10年経ってから気付いた話
https://rinsuke.com/name-tag-mistake/

この頃はとにかく情熱的で、厳しくも楽しく働いていました。

この一連のディズニーでの体験が、その後の営業マンとしての考えや行動に、大きな影響を及ぼしていることは間違いありません。

あるタイミングで彼女(今の妻)に急かされ、スパっと就職しました。

ここからずっと営業畑です

中古車情報誌「カッチャオ」時代

仕事を選ぶ基準は「好きな車に関すること」「仕事に応じて給料がアップすること」

とにかく当時は負けず嫌いで、やった分だけ自分に跳ね返ってくる仕事にしか興味がありませんでした。

選んだ仕事は、中古車情報誌の営業マン。

中古車を買おうと思った人が見る雑誌に、「1ページいくらで広告を載せませんか?」という営業を国産車ディーラー、輸入車ディーラーの中古車担当に向けてしていました。

当時は営業の「え」の字も理解していない若造で、ファックスの送り方から、電話の出方まで、何から何まで先輩に教えてもらいました。

本人は何でもできると思い込んで就職したもので、今思い出してもほろ苦い思い出です。

赤いメガネをかけて営業なんて、と今なら思います。

ベンツの中古車店時代

中古車情報誌のお客様である、輸入車ディーラーの担当者から、「新しくベンツの中古車店を出すのでスタッフとして来ないか」との話をいただきました。

大好きな車に直接携われるということで、二つ返事でお誘いに応じました。

まだほとんど走っていないピカピカの中古ベンツの販売活動をする毎日。

ある日、店頭に立っていると、買い取り査定を依頼するお客様が来店。

接客した数日後に、「会社に来ないか」と電話がありました。

何を売りつけられるのかと折り返し電話をするとそこは、一部上場のマンションデベロッパー。

ホームページを見ると、そのお客様は取締役の営業部長なのでした。

しかし、ベンツの仕事を始めてまだ半年そこそこ。

転職する気はないことを伝えると、「営業トークを教えてあげるから、月に3回は飯に付き合いなよ」という有り難いお言葉をいただきました。

勉強させてくれる上に御馳走になれるなんて、なんという良い話だと何度かお世話になりました。

親の反対、妻の反対への外堀り埋められ、なにより部長の人柄に惚れたのもあり、気付けば転職を決めました。

マンション営業時代

日本綜合地所株式会社にて、新築分譲マンションを販売するモデルルームでの営業を5年。

営業部長の引き抜きという鳴り物入りで入社したにもかかわらず、成績は鳴かず飛ばずが続きます。

新卒で入った優秀な年下の先輩がいたり、あたたかい人達に支えられてどうにか人並みになることができました。

今思うと、社会をナメたサラリーマンだったと思います。

そこそこ給料をもらえるなら、そこそこの働きでいいんじゃない、という考えでした。

それを見透かされたか、モーレツなパワハラ上司に、毎日モーレツなプレッシャーをかけられる毎日。

本当に人間不信になり、日本中の人が自分のことをバカにしているのではないかと感じていました。

帰りのホームで電車を待つ間、よからぬことを考えたことも1度や2度ではありません。

「この物件を勧めて大丈夫なのかな?」とか「この人にこのローン金額で大丈夫なのかな?」とか、自分が売るモノを本当に良いと思い込んで売ることができなかったので、当然に仕事の結果にも反映されていたのではないかと思います。  

ほどなく会社は、リーマンショック後の銀行の貸し渋り、貸しはがしにより、会社更生法により倒産。

過去最高の売上高、利益だったにも関わらず、無情なものです。

「将来、子どもが生まれて土日に休めないのは、いつかどうにかしたい」と思っていたので、渡りに船でした。

転職活動

更生計画が認められる間、早期退職の募集が始まりました。

給料が下がらないようにと、高額商品の営業職を中心に何社か受けました。

しかしその仕事の結果、誰が喜ぶのかを具体的にイメージできませんでした。

そんな中、転職エージェントから勧められた外資系の生命保険会社。

はじめは「え~?保険の営業?」とネガティブなイメージがありました。

しかし、面接を受けるにつれて、「生命保険にしかできないこと」の素晴らしさに感動して涙が出ました。

内定後はもちろん、その外資系生保で頑張ろう!と思っていました。

ところが、入社までの研修期間に、三井住友海上で代理店をしている義母に、研修生制度を勧められたんです。

損保も扱えた方が2倍チャンスがある、と思ったこともあり、三井住友海上&きらめき生命(現あいおい生命)で独立することを前提とした3年間にチャレンジすることにしたのでした。

三井住友海上の社員時代

独立前提の3年間の期間限定社員でした。

サラリーマンではなく、あくまでも気持ちは事業所得の独立事業家です。

お金をもらいながら教育を受けられ、無事に卒業基準を達成後は、顧客は全員持って出ていける。

なんという素晴らしい仕組みなのだ!と当時は思いました。

しかし、厳しい厳しい3年間。結果としてはギリギリの成績で卒業しました。

訪問先は、当初は自分の家族、友人、知人です。保険の仕事を始めたと言えば、友人なら応援してくれるだろうと安易に考えていました。

しかし、そんなにうまくいくはずもありません。

「買ってくれ」とは何があっても言うまいと自分にルールを課し、正しい情報提供を続ける毎日。

この時期に初めて「人は1人で生きているのではない」ということに気付きました。

この時既に32歳。

気付くのが遅すぎましたが、少なくとも気付けてよかったです。

半年ごとに成績の査定があり、基準に達していないと、保険会社に斡旋される代理店に就職するか、保険業界から退場することになります。

駆け出しの東海林を信頼して契約したお客さんを引き続き担当するためにも、それは絶対に避けなければなりません。

その後は本来であれば、「三井住友海上&三井住友海上あいおい生命」の専属代理店として独立する予定でした。

しかし奇跡的な縁があり、株式会社ワンダフルライフ(旧社名、株式会社ほけん広場)という複数の保険会社を取り扱う、乗り合い代理店に入ることになりました。

現在、株式会社ワンダフルライフ(乗り合い保険代理店)にて

結果として、良い選択をしたと思っています。

1つの保険会社しか扱えない場合、「自分を買ってください」という営業スタイルにならざるをえず、「顧客にとってより良い選択」があることに目をつぶらざるをえません。

現在は13社の生命保険会社の中から、「自分が本当に良いと思えるもの」の中から「顧客の要望に限りなく合うもの」だけを提案することができています。

現在は有り難いことに「保険の話を聞かせてください」と言う方だけを大切にすることで仕事が成り立っており、家族最優先で、ストレスなく生活を送ることができています。

また、私の好きなものである、ゴルフ、自宅での日本酒会、おいしいものを食べる会などを通じて、顧客と担当者という枠組みを超えて、友人、顧客、私を取り巻く人々の、交流の場を設けることもライフワークのひとつになっています。

仕事に対する考えを書いた記事はこちら

とーかいりん男爵はこんな思いで仕事をしています|仕事のことを初めて書いてみます
https://rinsuke.com/mybusiness/

資格

・宅地建物取引士
・2級ファイナンシャルプランニング技能士
・生命保険応用課程
・損害保険特級資格

取り扱い保険会社

生命保険13社

アクサ生命、アフラック、エヌエヌ生命、FWD富士生命、オリックス生命、ジブラルタ生命、ソニー生命、第一生命、東京海上日動あんし生命、ネオファースト生命、マニュライフ生命、三井住友海上あいおい生命、メットライフ生命

損害保険5社

イーデザイン損保、AIG損保、セコム損保、東京海上日動、三井住友海上

好きなこと

日本酒

2015年11月に獺祭に出会って以来、自宅に一升瓶が16本入る専用冷蔵庫を買い、毎月日本酒会を開くほど好きになりました。

お気に入りは十四代、上川大雪、尾瀬の雪どけ、ちえびじん、くどき上手、大信州、花陽浴(はなあび)、栄光富士、射美(いび)、長珍しんぶんし、W、村祐、幻舞、鳳凰美田などなど。

純米の濃厚旨口が好みです。

千葉、東京、埼玉の酒屋をめぐり、日本酒を仕入れるのがライフワークになっていて、日本酒会では料理も自分で作ります。

毎回10人前後がやってきて、原価でおなかいっぱい&日本酒飲み放題で満足して帰っていきます。

おかげさまで開催28回。

日本酒について書いた記事はこちら

ゴルフ

25歳から始めたものの、年に1回か2回のペースでは上達するはずもありません。

本格的にうまくなるべく、2017年2月から100切りに向けてスクールに入学しました。

2017年はついにベストスコア100。

あと1打まできました。

2018年は低迷中ですが、お誘い大歓迎です。

草野球

2012年は打率4割でチーム内で首位打者、ポジションはピッチャー、外野。

息子が生まれてから遠のいています。

肩を壊して以来ピッチャーができないので、いつか完全復帰して登板することが夢です。

手術をしようかな、と妻に何気なく話したところ「プロ野球選手か!」と失笑されましたが、マウンドに立ちたい気持ちは本物です。

【追記】

インナーマッスルを地道にお気楽に鍛え続けた結果、なんと、2019年夏頃から徐々に投げられるようになりました。

まだまだ本気の投球はできませんが、塁間を余裕で投げられるようになっただけでも、本人としては感動に打ち震えております。

それに関する記事はこちら

「息子と思い切り野球がしたい」という気持ちが本格的にインナーマッスルを鍛えて野球肩を治そう!と思うきっかけに
https://rinsuke.com/baseball-shoulder/

 

久しぶりの草野球に助っ人枠で参加|1番レフトで3打数0安打|めちゃくちゃ楽しかった!けど庭で素振りをしよう!と決意した話
https://rinsuke.com/kusayakyuu-6year-buri/

野球観戦

息子と一緒にマリンスタジアムでビール片手にロッテの応援をすることが楽しみです。

息子もついに外野席デビューをして一緒に跳ねました。

「大きくなったら角中になる!」と言っています。

右投げ左打ちにすべく、少しずつ興味を持たせています。

ミュージカル鑑賞

独身時代は週に1度はミュージカル鑑賞をしていました。

パワハラまみれのマンションの営業マンとして、ほんのひとときでも現実から逃避できて、夢見る時間が必要だったのではないかと思います。

好きな演目は劇団四季「クレイジーフォーユー」「ウィキッド」「マンマ・ミーア!」「オペラ座の怪人」「キャッツ」

音楽座「しゃぼん玉とんだ」「アイラブ坊っちゃん」「とってもゴースト」

来日公演は「RENT」「ヘアスプレー」など。

マンション時代のニューヨークへの社員旅行中は1人でブロードウェイに入りびたってミュージカル三昧でした。

ブロードウェイで観たのは「ウィキッド(四季初演前)」「メリーポピンズ」「ターザン」「オペラ座の怪人」「マンマ・ミーア!」

海外旅行 国内旅行

これまでに行ったことがあるのは、パリ、ローマ、フィレンツェ、バルセロナ、マヨルカ島、ニューヨーク、フロリダ(ディズニーワールド)、ベルリン、ミュンヘン、バンコク、バリ、セブ、台湾、大阪、京都、福岡、長野、岐阜、名古屋、山形、福島に行きました。

バチカンのサンピエトロ大聖堂の中で、マリア像に本気でくちづけをして祈っている人を見て、建造物の壮大さを見て、人生観が大きく変わったことを覚えています。

ANAの陸マイラーで、年に1度は家族で海外旅行に行きます。

旅に関する記事はこちら

タップダンス

かじる程度。

自分の結婚式の2次会で披露したのが懐かしい思い出です。

スポーツ全般、それなりにできるつもりでしたが、ダンスだけはどうやってもぎこちないようで、個人的にクリアしたい分野です。

最近は社交ダンスに興味があります。

その他キーワード

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