こんにちは!
とーかいりん男爵こと東海林大介です!
今回は、相手に伝える時に配慮していること、伝え方を変えてみたらうまくいったことについて書いてみます。
なんでわかってくれないんだろう?
とーかいりん夫婦はこれを書いている今、結婚してから丸13年が経っています。
結婚前に付き合っていた期間が10年あるので、もう23年も一緒にいることになります。
だから(?)、ちょっと油断すると・・・
いや、油断どころか、ちゃんと意識していないと、「言わなくてもわかってくれるだろう」という考えになりがちです。
そうじゃないできた夫婦もたくさんいるとは思いますが、少なくともボクの場合はそうでした。
「なんでわかってくれないんだろう?」
「なんで察してくれないんだろう?」
そんな風に考えていたものです。
以前は。
でもそんなこと、ちょっと考えるだけで当たり前なことがわかります。
他人だから
そう、なぜなら、夫婦といえども元々は他人だからです。
親子でさえ、兄弟姉妹でさえ、それぞれ考え方が違うはずです。
「いいや、うちはなんでもわかり合えているよ」という組み合わせの人は、もしかすると非常に幸運なのかもしれません。
そこには、幸運以上に人知れずの努力があるのかもしれませんが。
でも、本当に「全く一緒」なんでしょうか。
なにからなにまで、全てのことに対して同じ考え方をする、という人の組み合わせなんて、ありえないと思うんですね。
パーマンに出てきたコピーロボットでさえ、本人に逆らうこともありましたよね(笑)
って、これがわかる人はボクと同じくらいか、それ以上、年を重ねている人ですね、きっと(笑)
そう、だからこういう前提に立ってみると、人間関係がより円滑になるかもしれません。
「違う」を前提に考える
自分と人は考え方、ものごとの捉え方が違う。
こうやって考えてみるといいかもしれないですね。
というか、こういう前提に立っておかないと、色々おかしなことが生じそうです。
たとえば・・・
健康に気を遣う方向性が同じで、同じ食べ物が好きで、同じ歌手の熱狂的なファン。
住まいもすぐ近くで、年も出身も同じで、めちゃくちゃ仲が良い。
こんな2人がいたとして、考えていることや物事の捉え方まで、何から何まで同じなんでしょうか。
いや、そんなこと絶対にあるわけないですよね。
深く掘り下げるまでもなく、2人の考え方には違うところがたくさんあるはずです。
もうだいぶ前のとーかいりんが未熟だった頃(今でもまだまだ未熟ですが)は、こんな風に考えていたように思います。
「自分がこう考えるから、他人も同じように考えてくれるだろう」
そんなわけないのに・・・
都合良すぎですよね・・・
そんな(?)我が家で、最近こんな出来事がありました。
ギトギト油の皿問題
ボクたち夫婦には、ご飯を作った人は、相手に皿を洗ってもらえる、というゆるーいルールがあります。
※ もちろん、余裕がある方が気付いた家事ををすることはまったく問題なしです
どちらかというと、妻の料理を食べていたい人なんですけど(だって、とってもおいしいから)、ボクが作ることももちろんあります。
ずっと前から気になっていたことの1つに、「ギトギト油の皿問題」があります。
皿を洗う人ならわかると思いますが、油がたっぷり付いたお皿を流しに下げる時、そのまま重ねると大惨事になりますよね。
お皿の下側も油ギトギトになるのはもちろん、油が付いていないグラスや、茶碗、その他の皿にまで、油の「汚染」が広がります。
スポンジを右手に持って、皿を洗おうと左手で持ち上げると、左手が油まみれになります。
で、すすぐ時にも左手の油が落ちきっていないから、皿がヌルヌルしているんだか、手から油が付いてしまったのかわからないから、また石鹸で手を洗って皿を洗う。
こんな二度手間、三度手間がかかるのが本当に嫌でした。
時間もかかるし、こういう「合理的じゃないこと」がとっても嫌なんです。わたくし。
だから、かなり前から、
「油まみれのお皿を重ねておくと洗うのが大変なんだよなぁ」
という風には言ってきたつもりなんです。
それに対する妻の返事は、
「洗えばいいじゃん」
というものでした。
いや、そうなんだけど・・・
「裏側にまで油が付いて、大変じゃん!」
「う~ん、大変じゃないよ」
こんなやり取りが何度かありました。
なんでわかってくれないんだろう?
本当に嫌なんだけどなぁ。
直接的表現
「洗うのが大変なんだよなぁ」とは伝えてきましたが、「だからどうして欲しい」がなかったんですよね。
もしかすると客観的に見たら、ちょっと「なんでそんなこと?」と、おかしな問題に映るかもしれません。
どっちかの気持ちはわかるけど、もう一方の気持ちはわからない、とか。
でも当事者のボクにとってみたら、「なんで?」でしかありませんでした。
それを解決する方法は、「直接的表現に変える」ということだったんですよね。
「大変なんだよなぁ」ではなく、
「油ギトギトの皿を流しに置く時には、水で流して予洗いして欲しい」と言うことで解決しました。
だって、本当に本当に嫌だったので。
その、本当に嫌だということを言葉にして伝えることで、それ以降は、皿をちゃんと予洗いしておいてくれることになりました。
ちっちゃなことかもしれないけど、こうして1つずつ、相手が嫌がることを減らしていくと、お互いにとってちょうどよくなっていくんだと感じた出来事です。
婉曲的表現
かといって、なんでもかんでもストレートにズバっとぶつければいい、ってもんじゃあないんですよね。
ちょっとは婉曲的に、「お願いするように伝える」ということも大事なことだと思っっています。
「本当に嫌だからやめてよ!」って怒りながら言うと、ちょっと激しい感じがしますし、反発を買う可能性が高いですよね・・・
「そんな言い方しないでよ」みたいな、本題とは関係ないケンカに発展する可能性も大いにあります。
それを「本当に嫌だから、やめてほしいんだよね」って、お願いするように言っってみたり。
おもしろおかしくふざけながらお願いしてみたり。
そんな工夫をしてみたら、もしかすると、受け取る相手の感情を逆なですることを減らせるんじゃないかなと思います。
「面倒だけど、そこまで嫌なら受け入れるかな」といった感じで聞いてもらえるかもしれません。
人を動かそうとしない
もちろん、人の考え方を強引に変えようっていっても、そんなことなかなかできるもんではありません。
だから、できることと言えば、「こうして欲しい」という言い方ではなく、「ボクはこう感じる」「ボクはこれは嫌だ」という言い方をすることです。
「〇〇して欲しい」だと、相手がノーと言ったらそれでおしまい。
相手にも考えがあって、ボクとは反対のことをしているのかもしれないですよね。
だから、どっちが正しいとかがない。
でも、「ボクは嫌だ」と言うのは誰のことも否定していませんし、そもそも「嫌だ」というボクの気持ちは誰にも否定できない事実です。
それを伝えるだけでいいと思っています。
むしろ、究極的には、自分の気持ちを伝えるだけしかできないと思うんですよね。
その結果、受け入れてくれるならその人のことも受け入れたらいいし、受け入れてくれないとしても仕方がない。
それを含めてその人と付き合っていくのか、もうそんな人とは付き合わないと決めるのか、それもまた自由なんです。
という感じで、人を動かそうとしないことで、かなーり楽になります。
最後に
妻の名誉のために言っておきますけど、ボクの妻はとってもできた人間です。
ボクに足りないところをたくさん持っているし、クールなところはあるけれど、やさしさの塊のような存在です。
いつもせわしないボクとは対照的に、いつもどっしり構えて我が家を見守ってくれているし。
子どものようなことをするボクのことを、プライドを傷つけることなく、いつもやさしくいなしてくれたりもします。
今回はわかりやすい例として、油ギトギト皿の件を取り上げました。
でも、本当は「妻が感じているボクに対する不満」の方がたくさんあるんだろうなぁ、とは自覚しているつもりです。
そういう気持ちは忘れずに、お互いの「誤差」が少なくなるよう、思いやりの心を持ってやり取りしていければ、仲良しでい続けられるんだろうな、と感じるんですよね。
今回の記事は「伝え方を変えたらちゃんとわかってもらえた」という経験をしたことについてでした。
夫婦関係でお悩みのあなたの役に立てたとしたら幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。