こんにちは!
とーかいりん男爵こと東海林大介です!
今回は、父親のひとことで、強烈に色々な思いがめぐったことについて書いてみます。
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父と母の結婚記念日
少し前になりますが、ちょうど1年前くらいの2018年の8月に、36回目の父と母の結婚記念日がありました。
とうかいりん大介は41歳。
そう。今の父は5歳の時からの父なのです。
父は初婚ですが、母にとっては3度目の結婚。
その前の2度の結婚生活は、聞いた話からだけでの判断にはなりますが、決して幸せな結末ではなかったんじゃないかとボクは思います。
そんな母を幸せにしてくれている偉大な父なのです。
どんな父だったか
ボクが小さな頃から、仕事の後は、どこかに寄ってくることもなく家に直行する父。
子どもたちからは「趣味お母さん」と言われるくらいの、母大好きな父です。
とても不器用で、言葉足らずなところもあり、会話をするとケンカっぽくなる時もありますが、育ててくれたこと、母を幸せにしてくれたことを、常に感謝しています。
面と向かっては言えないけど、このブログもたまに見てくれているようなので、言わせていただきますね。
ボクたちを幸せにしてくれて、ありがとうございます。
子どもを4人、大学まで出してくれて、大人になってみてそのことを考えると、改めてすごいな、と思います。
元々、紙のとうかいりん通信に載せた記事なんですが、そんなことを思い出しながら、星野珈琲店でアポイントの前に書いていたら、ボロボロ涙が止まらなかった記憶があります。
会う人が遅れてきてくれなければ、目を腫らしてご対面、となるところでした。
父がボクの5歳の息子に向かって言ったひとこと
そんな父と母の結婚記念日に、子どもと孫が全員集合した時、5歳の息子が父にじゃれていたんです。
その時に父が息子を見ながら言ったひとこと。
「だいすけ(とーかいりんの名前)と初めて会った時は、ちょうどこのくらいだったんだなぁ」
父は何気なく言ったと思うんです。
でもそのほんのひとことが。ボクの心に色んな感情を湧き起こしました。
◆父は孫を見ながら当時のボクのことを思い出して、どんな感情なんだろう?
◆そうか。結婚相手(母)にこんなに大きな子どもがいるのに受け入れてくれたのか。
◆ボクが父の立場だとして、結婚相手に息子と同じくらいの子どもがいたら受け入れられるのだろうか?(当時ボクには2つ下の妹もいたので、父にとっては2人の連れ子)
◆結婚に大反対する父の実家でした。結婚して初めて行った時、ボクは子どもなりのイヤイヤ放題していた記憶があり、母はかなり肩身が狭かったんだろうなあ(その後、同居しているお嫁さんのあまりのアレさとの対比で母は受け入れられるのですが)。
◆僕たち兄妹と、その後生まれる、弟、妹と分け隔てなく厳しく育ててくれたのは、どんな思いだったのだろう?
◆自分も同じ立場だとして、連れ子と自分の子を同じように育てられるのだろうか?
◆当時の自分はどんな感情だったのだろうか?今の息子の理解レベルから推し量るに、わかっているようなわかっていないような?
本当のお父さんでは・・・ない?
父がやってきた当時、ボクは幼稚園の年長に上がるタイミングだったので、「お父さんが本当のお父さんではない」ということは、なんとなくわかっていました。
特に、そこに違和感はなく、「お父さん」という感じで、入っていけたのは、まだ幼かったからだと思います。
実は、書きながら「どうしてすんなり受け入れることができたのかな」って思い出してみると、父とはあまり遊んだ記憶がないことが1つの理由かな、と思います。
キャッチボールをしたり、そんなことをした記憶がないような。
子どもの興味があることに、自ら突っ込んで関わってくるようなタイプではなかったのもあるかもしれません。
もう年長だし、友達とも遊ぶし、その後、小学校に行ってからはなおさら、友達と遊ぶことが多かったということもあるかもしれないですね。
そんな、口ベタで厳しい父。
4人の子どもを分け隔てなく厳しく育ててくれたからこそ、まっすぐに育つことができたんじゃないかと思います。
軽い反抗期はありましたけどね。
母が伝え続けてくれたこと
そんな父のことを母はいつもこう言っていました。
「お父さんが働いてきてくれるから、こうやって生活ができるんですよ。」
そういう尊敬の気持ちがお母さんの口から出て、子どもに伝わり、それが繰り返されて、お父さんへの感謝の気持ちが心の中にあったんですね。今思うと。
「母が父のことを子どもにどう言うか」で父の家庭内の立場は決まると思いますし、父への尊敬や感謝の気持ちも決まると思います。だから、子どもに嫌われるか尊敬されるかは、配偶者の言い方次第なのですね。
ということはもちろん、「父が母をどう言うか」にも同じことが言えると思います。
父には逆らわない
だから、どんなに厳しくても、うるさいなぁと思っても、深夜に帰宅して丸坊主にされても、「母を大事にしてくれる父の言うことは聞こう」という気持ちになっていたのかもしれません。
厳しすぎて、ほんとにイヤだった時もあるけど、言うことは一貫していましたから。
今思うと、ちょっとそれはやりすぎじゃない?って思うこともありましたけどね。
お父さんがちゃんとしていないんだったら、言うことを聞かないという選択肢もあったかもしれません。
でも、「自分の信念」みたいなものや、「これ以上は譲らないぞ」という境界線がはっきりとしていたので、子どものボクも、父が「こうだ」ということには、抵抗しようとさえ思わなかったんだと思います。
ボクが息子に向き合う時も
書きながらそんなことを思ったら、今ボクも、息子に対して、1本の筋が通った接し方をしているか?
その場その場で、言うことが違っていないか?なんて振り返らされました。
もちろん、感情で怒ることはなるべく避けて、絶対に譲れない部分は向き合って話す、という感じにしているつもりですが、振り返ってみると、
「そんな言い方しなくてもよかったかな」とか、
「そこは好きなようにさせてあげてもよかったのにな」とか、
そんなことを思うと、息子に対してとても申し訳ない気持ちになったり、今すぐ帰って「大好きだよ」って抱きしてめてあげたい気持ちになったりします。
でもそれも、自分が成長していなければ感じられない気持ちで、成長しているから思えることだと思うので、その時の全力で向き合っていればいいのかな、とも思います。
父親のことを思い出し書いていたのに、自分の息子との接し方にまで考えが及んで、だいぶ長くなりました。
やはり、書くことは記憶と思考の整理になります。
書いてみるまで、こんな効果があるとは思ってもみませんでした。
毎日ブログを書いて、今回で100記事になりました。
始めた頃は、「毎日書いて100記事」なんて、遥か彼方の目標だと思っていました。
でもやればできるもんですね。
次の目標は365記事。
1年間続けること。
これからもコツコツと書いていきますので、お付き合いいただければ幸いです。
今回は、父のひとことで初めて浮かんだ感情について書いてみました。
そこから派生して、「父のスゴさ」と、「父への感謝の気持ち」、そして「息子との関わり方について思うこと」について書いてみました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。