こんにちは!
とーかいりん男爵こと東海林大介です!
今回は「結婚は誰としても同じ」ということが話題に上がって、「そうそう!」と2人の意見が合う出来事があったので、そのことについて書いてみます。
ボクだってまだまだ成長中で、妻が読んだら苦笑いするようなことを書いているかもしれませんが、自分のためにもアウトプットしていきます(笑)
トップ画像はボクたちの結婚式です。
妻からは「やめてね」と言われていたにもかかわらず、どうしてもやってみたくて、ひざまづいてブーケを渡したところです。
妻、ちょっと、腰が引けてますね。
結婚は誰としても同じ?
ボクが思う結論としては、「一部そうでない場合もあるかもしれない」が、おおむね「そうだと思う」というものです。
大前提として、ボクはとっても恵まれていると思っています。
かわいくて(とボクは思う)しっかりした妻がいる上に、かわいい息子もいます。
しかも、今から振り返るとどうしようもない夫だったボクを、忍耐強く見守って受け入れてくれた(くれている?現在進行形?)という恩も感じています。
だから、妻に対して、「誰でも同じだよ~」という諦めの気持ちがあるなんて誤解されぬよう、予め言っておきます。
誰でも同じなのか?
そりゃ、結婚相手に求めるものは色々あるでしょう。
もっと収入が高い方がよかった。
もっと料理をしてくれる人がよかった。
もっと仕事ばかりでなく家にいてくれる人がよかった。
もっと私だけを見てくれる人がよかった。
もっとやさしい人がよかった。
もっと束縛しない人がよかった。
もっとかわいい人がよかった。
もっとカッコいい人がよかった。
もっとスリムな人がよかった。
もっと。もっと。
もっと・・・
理想は人それぞれあるでしょうが、相手も人間です。
良いところもあれば、気になるところもあるでしょう。
でも相手は変えられないんですよね。
直してほしいところを指摘しても、程度の差こそあれ角が立つだけで、百害あって一利なし。
だったら自分が変わっちゃおう!
ということが言いたいんです。
今の自分にちょうどいい
今、ボクのまわりにいる人たち。
みんな良い人ばかりです。
後ろ向きな人とか、愚痴っぽい人とか、人の気持ちを暗くするようなことを言う人とか、清潔感のない人とか、一瞬現れることはありますけど、気付いたらボクのまわりからはすぐにいなくなっています。
その代わり、良い人たちはみんな残ってくれます。
これは有り難いですし、うれしいことですね。
(もちろん、自然と去る人もいますし、個人的には「去る者追わず」で執着しません。)
そんなことを振り返る度に、齋藤ひとりさんが言っていたこの言葉を思い出します。
「あなたのまわりの人は、今のあなたにちょうどいい」
自分の妻(夫)のことを不満に思うのは、自分が未熟だから。
自分の魂レベルが上がってくると、それに合わせてまわりの人も上がってくる。
という話を、夫の不満を言っていた人にサラっとしたら、「あなたは私のことレベルが低いなんてなにさま!?」って怒られたことがありました(笑)
そんなこと言ってないのになぁ(笑)
そうやって被害妄想をするような人は、やっぱりボクの前からいなくなっていきます。
魂レベルが一緒の人と一緒になるように「なっている」だけであって、それも「今のあなたにちょうどいい」らしいんです。
だから、魂レベルを成長させるべき人は、成長させてくれる人と一緒にいるように「なっている」だけだし、魂レベルが充分に成熟している人は、成熟している人と一緒にいるように「なっている」だけなんですよね。
って考えると、やっぱり「結婚は誰としても同じ」なのかもしれませんね。
相手を通じていかに自分が成長するか
相手の気になる言動に対して、どれだけ受け入れることができて、相手のためにどう振る舞えるか。
その結果、相手も成長していったら(しないかもしれないし、期待してはいけないんですけど)、お互いにハッピーなのかもしれないですよね。
とにかく、人のことは変えようと思わず、自分が変わる。
人はコントロールできないけど、自分の心がけはコントロールできますからね。
あ、言っておきますけど、どうしようにも埋められない溝は存在すると思います。
ギャンブルに狂って家庭を顧みない人とか、暴力をふるうとか。
そういう場合は、「去る」という選択肢が一番なのかもしれません。
そもそも、完璧に自分の理想どおりで、何でも叶えてくれる相手と、一緒にいて・・・楽しいのでしょうか・・・
と書いて思いましたが、楽しそうですね(笑)
だったら、まずは自分から、相手の完璧な理想像になったらいいってことだと思います。
その結果としての波及効果に「ほのかに」期待(笑)
その理由を次に書いていきます。
自分は相手から見て完璧なのか?
相手に求めるものは横に置いておいて、自分のことを考えてみます。
自分は相手にとって、完璧な理想の配偶者なのか?
って考えてみたら、ボクの場合は、まったくそんなことないです。
断言します。
もちろん、そうなりたいと心がけてはいるつもりですが、長い年月が流れていくうちにナァナァになってきて、「横にいること」が当たり前みたいな気持ちになっていることに気が付きました。
でも、違うんですよね。
「運命」とか「偶然」とか「必然」とか色々な考え方があると思います。
その上で、「たまたま」結婚することになって、一緒にすごす毎日が繰り返される。
というだけの関係であって、相手に対して気遣いを忘れてもいいということにはならないんです。
こんな当たり前のことに、昨今の「自粛」で2人がいつも家にいる状態になってみて、気付かせてもらうことができました。
家事の分担をめぐって少し険悪な雰囲気になってみて、自分の至らなさに気が付いたり。
「妻と息子が出ていってしまって1人ぼっちになった生活」を想像してみたり。
いやぁ、その想像はめちゃくちゃ寂しいものでした。
じゃあ、そうならないために「どうすれば2人が楽しくすごせるようになるのかな?」って考えてみたり。
妻からもう一度「好きになってもらいたい」という、なんだか新鮮な気持ちでいるこの頃です。
だから、息子を通じて大笑いすることもあれば、ボクのボケに対して大笑いしてくれることも含めて、とにかく普段からクールな妻が、大笑いしてくれる瞬間のために生きているんだなぁ、って感じたりします。
最近は、妻はあんまりブログを見ることもないようなので、こんなこと書いちゃいますけど。
今回は、「誰と結婚しても同じ」だとするなら、その結婚をできる限り良いものにした方がいいに決まっている!と思っていることについて書いてみました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。