こんにちは!
とーかいりん男爵こと東海林大介です!
今回はバスケの試合で理不尽な体験をしたことについて書きます。
バスケの試合観戦中の出来事
先日、ちょっと考えさせられる出来事がありました。
あるプロのバスケットボールの試合を観戦していた時のことです。
片方のゴールが、ちょうど視界の斜め前方(時計で言うと10時の方向)にある席でした。
隣の男性が大きな荷物を膝の上に抱えていて、その上で扇子をバンバン叩きながら応援していたんですよね。
もちろん、まったく見えないわけではないんです。
でも、その扇子がちょうどゴールエリアにかぶっていて、しかもずっと動いているので、正直かなり見にくい。
気になりながらもしばらく様子を見ていたんですが、やっぱり視界に入り続けているのが徐々にストレスになってきて。
そこで、「ゴールエリアにかぶっているので、少し下げてもらえますか?」と声をかけました。
すると、その男性はボクの方を見もせず、「邪魔だってよ」と反対側にいる連れに小さくつぶやきながらも、いったんは下げてくれました。
これで大丈夫かな、と思ったんですが、次のクォーターが始まると、また同じ位置でバンバンが始まったんです。
再び見にくくなったので、もう一度お願いしました。
「すみません、視界に入っているので下げてもらえますか?」
すると今度は、「自分の席なんだから、楽しむ権利があるでしょ」と、はっきり反論されました。
たしかに、それはその通りです。
なのでボクも、「もちろんです。ただ、ボクにも試合を楽しむ権利があると思うんです」と伝えました。
でも返ってきたのは、「自分の席で何をしようが自由だろ」という言葉でした。
「もちろん自由です。でもそれは、人の邪魔をしない範囲でだと思います」と伝えても、やめる気はまったくない様子。
「同じチームを応援しているファン同士、お互いに気持ちよく観戦できたらいいですよね」とも伝えました。
でも最後まで「権利」の主張は変わりませんでした。
結局、それ以上その場にいるのがしんどくなって、ボクは席を立ちました。
事実としては、こんな出来事です。
観劇マナーで言えば
ボクはミュージカルや芝居を見るのが好きだから、普段から観劇マナーはかなり意識しています。
たとえば、帽子はかぶりません。
後ろの人の視界を遮るような髪型もしません(整髪料でモワモワにするとか、女性ならお団子にするとか)。
あとは2階席など、上から舞台を見る席の場合、背中を座席の背もたれに付けて観ます。
自分が見やすいからと前傾すると、そのまま後ろの人の視界に入ってしまうからなんです。
前傾しないのはもはやマナーですらなく、観劇では必須の取り決めです。
観劇って安くないです。
チケット代だけで1万円前後は普通にかかりますから。
上演時間だけでも2時間~3時間。
しかもそこに至る交通費や移動時間を考えると、劇場にいる人がみんな気持ちよく観劇できるのが理想なのです。
その中で「見えない」というのはかなり致命的で、基本的には許されるものではない、というのがボクの常識。
どんな人にもその人なりの正義がある
でも今回の件で思ったのは、「相手には相手の常識がある」ということ。
どんなに意地悪に感じても、アホに見えても、優しさがないように思えても。
極論を言えば、たとえ犯罪者だとしても。
人それぞれの常識があり、正義がある。
だから正義に正義をぶつけるだけでは、ただの「意地の張り合い」になるんだな、と。
そして、平行線をたどることになるのだな、と。
もしかしたら、もっと別の依頼方法があったかもしれないですよね。
もっと丁寧に伝えていたら、反応は違ったかもしれない。
あるいは、めちゃくちゃ仲良くなった後だったら、そんなささやかなお願いなんて普通に聞いてくれていたと思います。
そんなことも、後からふと浮かんできました。
ただ一方で、こういう振る舞いをする人って、やっぱり日常で満たされていないんだろうな、とも感じました。
人からきっと愛されていない。
愛されていたら、そんなささいなこと、どーでもよくなると思います。
ボクだったらね。
自分が満たされていないから、人にもやさしくなれないんだろうな。
だからこそ、ああいう態度になるのかな、と。
少し前のボクだったら、これはもう「絶対に譲れない戦い」になっていたと思います(笑)。
理不尽なことが許せなかったんで(笑)
とことんやり合っていたはず。
でも今は、そんな低いレベルの意地悪と同じ土俵に降りて戦うのは無益だと思えています。
何より「自分の人生の時間」がもったいないですよね。
そう感じて、その場を離れたんです。
我ながら、ちょっと大人になったな、と思います。
正直、久しぶりにかなりムカついたけど(笑)
それでも、「相手には相手の正義がある」そう思えたことで、少し俯瞰して見物しているような。
そんな感覚になりました。
そんな正義を抱えて生きるのは、きっとしんどい。
そういう人はボクに言わせれば「かわいそうな人」。
「べき」「ねば」を手放して、自分に優しくなっちゃえばいいのに。
そしたらきっと、人にも優しくなれると思うんです。
なれないかもしれないけど(笑)
「まあいいじゃないのぉ」
こんなノリで生きられるようになって本当に楽!
ボクは「愛をベースに生きる側」がいい。
って思えたところで、最後ちょっと傲慢かな(笑)。
まあ、なにはともあれ、ネタを提供してくれてありがとう、って今は思えてます。
二度と会いたくないけど(笑)
という、我ながら「いつの間にか心が広くなっていたなぁ」と思った出来事でした。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。



































































