こんにちは!
とーかいりん男爵こと東海林大介です!
今回は、息子と電話する時に感じたことを書いてみます。
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保育園の年長の頃に感じたこと
息子と電話で話すと毎回、妙に幼い印象を感じていた時期がありました。
息子が「ちったんと話したい」とママに言って、妻の電話からかけてきてくれることがよくありました。
「いつかえってくるのぉ?」とか
「きょうはママと◯◯たべたよぉ」とか
ボクが「今日は何したの?」と聞いたりしても、
「わかんなぁい」と言うことが多かったり(笑)
なんだか、いつもよりもふにゃふにゃしています。
顔が見えない分、息子にも照れがあるのか、「何を話したらいいのかわからない」という戸惑いがあるのか、とろーんとして甘えた感じがします。
ふだん面と向かって話している時には、感じることができないものでした。
その上、声の感じも2歳くらい若返った(?)ような感じもして、なんだか不思議な感覚に陥ります。
当時は5歳なので、3歳くらいの感覚です。
なぜだろう?と考えたんですが、すぐにわかった気がします。
やっぱり子ども
それは成長したとはいえ、やっぱり子どもなんですね。
面と向かって話す時には、表情、アイコンタンクト、ジェスチャーなどから、おおよそのニュアンスを読み取ることができます。
でもきっと、それができないことが影響したんじゃないかと思いました。
で、この電話での感覚に気が付いてから、本人を目の前にして話してみるとやっぱり !
電話と同じくらいの幼さであることに改めて気が付くんですねぇ。
不思議ですねぇ。
ふだんから、見ているようで見えていないこと、あるんじゃないかなと思います。
改めてこうして息子と向き合ってみると、今までさらさらさら~っと流れていた日々が、なんだか貴重なものに思えるから不思議です。
黒電話
トップ画像は、本文とは「電話」ということしか関係ありませんが、とっても懐かしい黒電話。
黒くなくても「黒電話」って言っていたような気がします。
ボクが小学生の頃は、たいていの家庭はこの電話だったんじゃないでしょうか。
今の時代、どうやってかけるかを知らない若者が多いと聞いてき、「たしかにわからないよなぁ」と納得。
女の子の家にかける時に、お父さんが出たらどうしようとか、ほんとに出て慌ててガチャ!って切ったり。
会話を聞かれたくないから、電話機本体の線と、受話器の線を限界まで延ばして、家族がいない玄関まで持っていったり。
思い出すだけで懐かしい、今のケータイ世代にはない不便さゆえの甘酸っぱい記憶だったりします。
線のないコードレス電話へ
電話が「コードレス」で、持ち運びが一般化したのは、いつ頃のことでしょう。
と思って調べてみると・・・
家電量販店で売られるようになったのは1987年あたりからのようです。
ボクが10歳くらいの頃です。
更に驚きなのは、それまでは家で固定電話を使うためには、「電話加入権」というものを、1つの番号に最高で80,000円(現在は36,000円)を払って売買していたらしいんです。
たしかに、「電話を家で使うには高いお金が必要」というイメージはありました。
売買していたらしい、というか、今でも売買されているようですが、実質的な取り引き金額は1,500円くらいまで落ち込んできているのだとか。
個人的なまわりの流行の感覚で言えば、こんな感じです。
・高校3年の頃にポケベルが流行りだす (東京テレメッセージ) 。
・1浪して大学1年の頃にPHS(DDIポケットだかアステルだか忘れました)。
・大学2年くらいからドコモの携帯電話を持つようになる。のちにIDO(現au)、またドコモ。
そんな感じなので、なぜ大人は固定電話に高いお金を払って「権利を買う」なんてことをするんだろう?
携帯電話でいいじゃないか。
と不思議に思っていた記憶があります。
そんな、スマホを1人1台持つ今の時代から振り返ると、信じられないほどの進歩と時代を超えてきた感じがあります。
今回は、電話で話す時は妙に息子の声が幼く感じたことから発展して、固定電話の思い出についても書いてみました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。