こんにちは!
とーかいりん男爵こと東海林大介です!
今回は、ついについにゴルフで悲願の100切りを達成したことについて書きます。
一生のうちに100を切れるゴルファーは全体の2割とか3割とか言われていますから、まずは1つ目の大きな壁をクリア。
記念すべきコースは、高校の同級生に誘われて行ってきた、「東京国際空港ゴルフ倶楽部」です。
いやぁ、長かった~!本っ当に長かった~!
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ゴルフを始めたきっかけ
ゴルフを始めたのは25歳の頃(現在43歳)です。
ベンツの営業から転職した、マンションデベロッパー(分譲マンションを売る会社)1年目の熱海旅行の時ですね。
100を切るのに、そこからなんと18年もかかりました(笑)
当時は当然、ゴルフクラブなんて持っていないので、中古で2万円のバッグ付きのフルセットを買って、そこからずーっとそれを使っていました。
今思うと、バッグ付きで2万円のフルセットを10何年も使い続けてきたなんて・・・
って、だからうまくならなかったのか、という気持ちと、よく使い続けてきたなっていう気持ちと、入り混じって笑うしかないですねぇ。
キャディ付きの初ラウンド
今思えば贅沢なんですけど、初めてのラウンドはキャディさん付きでした。
何もわからないボクに対して、やさしい微笑みで手取り足取り教えてくれたんです。
「次はこのクラブでいきましょう」とか。
「この3本を持って走ってください」とか。
「この方向にパットしてください」とか。
どんなにやらかしても、やさしくフォローしてくれたりとかとかとか。
あやうく惚れそうになるところでした。
そんな天使の微笑みも、あまりにボクが叩くので、後半になるにつれて段々と苦笑いに変わっていたのはほろ苦い思い出(笑)
あ、ちなみにコースデビューのスコアは186です(笑)
それにしても、よくもまぁ、そんなにたくさん数えられたな(笑)
今なら何回でオンして、何パットで、って簡単に数えられるけど、オンするまでに6打も7打も8打も打つから、カウンター必須でした。
そこからのゴルフ歴
ゴルフを会社の行事きっかけで始めてからというもの、年に1度か2度くらいのペースでラウンドはしていたんです。
誘ってもらったら行く、というような受け身な感じではありましたけど。
年に1度必ず行っていたのが、年末の地元の中学の野球部仲間とのラウンドぐらいですね。
12/30の早朝に、茨城のセントラルゴルフクラブと決まっていました。
真冬の茨城の早朝は、寒すぎてティーが刺さらないくらいティーグラウンドが凍っていたっけか。
最近は行かなくなってしまったので、そんなことも懐かしい思い出です。
今思い出してみると、あまり「上達したい」という気持ちがなかったせいか、練習には力が入っていなかったなぁ。
ラウンド前に練習場に1度いけばいい方(笑)
そんなんじゃ、うまくなるわけもないですよね・・・
しかし2017年2月、大きな転機が訪れます。
ゴルフルクールに入学
なんと、ゴルフスクールに入学したんです。
そのスクールの謳い文句が「レッスン後5ラウンド以内に100切れなければ返金保証」というもの。
今でこそライザップゴルフなどの、同じようなシステムのスクールもあるようですが、当時は衝撃的でしたねぇ。
「これでうまくなれるに決まってる!」と、期待を込めて門を叩きました。
「100切れなければ返金保証」って、そこまでの自信がある指導を受けたら、絶対に100切れるってことでしょ!って思いましたもんね。
実際にレッスンを受けてみると、教えてもらう内容は目からウロコが落ちまくり。
現状を客観的に知って、改善点を1つずつ提案してくれる。
レッスンの主軸になっていることは、ピッチングを使って、4時~8時の振り幅を完璧にして15ヤードを確実に打つこと。
その後は、30ヤード、50ヤード、70ヤード、100ヤードと打ち分けられるようになれば、コースマネジメントがとても堅実なものとなるというのです。
最終的にはウェッジからドライバーまで、どのクラブでも同じようにスイングすることが目標でした。
ウェッジからドライバーまで同じスイングなんて、教えてもらうまで考えたこともなかったです。
最も苦労したこと
最初に立ちはだかったのが、野球打ちからの脱却。
そう、とうかいりんは野球小僧(おやじ?)。
野球はボールを打った直後のフィニッシュの形が、(右打ちの場合)左足が突っ張ります。
右足で踏ん張りながら、左足も踏ん張る。
体の中心線は、両足の真ん中くらいのイメージです。
それに対してゴルフの場合は、フィニッシュは左足1本で立つ。
これがなかなか飲み込めなくて、体得するまでに苦労しました。
理解してみると、なんでこんなに当たり前のことが?って思ってしまうんですけど、やっている最中は苦労したことの1つです。
100は切れたのか?
で、5ラウンド以内に100が切れたのかというと・・・
お察しのとおり、切れませんでした。
5ラウンドの最高が102でした。
それでも、それまでのベストスコア109からは縮まってはいます。
コーチがあまりにも懇切丁寧に教えてくれたし、確実に上達していたので、躊躇したんですけど・・・返金保証の権利は行使させてもらいました。
レッスン中には「クラブフィッティング」というものを受けました。
自分にあったクラブを診断してもらって、ドライバーからウェッジまで10本を新調していたんです。
そのクラブの代金が、スクールの受講料の3倍以上したということもあって、スクールに利益は多少なりとも出たかな、という罪悪感の軽減・・・というのはボクの理屈か(笑)
いずれにしても、ドライバーからウェッジまで、ボクのスイングに合わせてフィッティングしてもらった
ので、長さと重量のバランスが、最適化したのは間違いありません。
これで道具のせいにできない環境が整いました。
スクール後のスコア100
結果的にはそのゴルフスクールに通い続けるという選択肢は取らなかったんですが、教えてもらったことを独自に地道にやっていきました。
「1人ゴルフ」といって、1人で予約して、ゴルフ場で「はじめまして」の3人とラウンドしたこともあります。
それでもなかなか切れなかったですねぇ。
スクール卒業後の2017年の8月には、スコアが100までいきました。
うーん、あと1打!
そのコースは、千葉セントラルゴルフクラブでした。
その後は、100台をうろうろしてみたり。
最終ホールのショートでバーディーなら99でボギーとか。
あと一歩!というところまでは何度もいきました。
一緒にまわる上手い人達からは、こんなことをよく言われていました。
「とうかいりんはスイングがキレイだし、ドライバーはだいたいまっすぐ飛ぶし、アイアンでも失敗するイメージないし、アプローチは上手だし、パットも安定しているのに、なんで100切れてないの?」
いやいやいやいや、ボクが聞きたい(笑)
だがしかし! その時はあっさりと訪れました。
ついにその時がきた!
記念すべき100切りは、2021年7月29日。
東京国際空港ゴルフ倶楽部という、千葉県の多古町にあるゴルフ場です。
友達と2サム(2人でラウンドすること)で、気を遣わなかったのがよかったのか。
後半に入ってからは最後までスコアを見なかったのがよかったのか。
終わってスコアを見たら95でした。
初めての100切り達成は、99とか98とかのギリギリで滑り込みセーフ!みたいな感じなのかな?なんて思っていたので、5打も縮めることができて、うれしかったですねぇ。
ゴルフはメンタルのスポーツです。
ちょっと調子が良いからってスコアを皮算用してしまったり。
一緒にラウンドする人が極端に下手だったり、ファストプレイを心がけなかったり。
打ったボールをお互いに見ていなかったり。
失敗に対してイライラするようなツッコミを入れられたり。
プレイ以外のことに心を奪われるようなことがあると、一気に崩れるんだなっていうのが実感です。
だから、気を遣わずに無心でプレイに集中できる環境が、平常心を保つのに良かったんじゃないかって後になってみて思います。
そう思うからこそ、どんな状況でもベストの力を発揮しないといけないプロは、改めてすごいと思います。
達成してみた感想
でもね、正直な気持ち、「チョーうれしー!」「感動した~!(涙)」というような、感動に打ち震えて喜びのたうちまわる、という感じではなかったのが意外です。
じゃあ、どんな気持ちだったのかというと・・・
「やっと1つの関門を突破したんだなぁ」というような、そんな感じでした。
それに加えて、「これから100切りをコンスタントに続けていくのだ」という新たな決意。
更に「90切りという新たな目標ができて、もっとゴルフがうまくなりたい!」といったそんな気持ちです。
それでもやっぱり、長いこと目標にしてきた100切りを達成することができて、本当にうれしいことには違いありません。
最後に
非常に長い年月をかけて、100切りを達成することができました。
スクールに通っても切れなかったある時期は、「もうボクは100切りなんてできないのかもしれない」なんて落ち込んだこともあります。
そういった苦悩があったからこそ、これまでの1つ1つのラウンドがこの100切りにつながっているかと思うと、一緒にラウンドしてくれたすべての人に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます!
これからもゴルフは続けていくつもりなので、お気軽に声をかけていただけるとうれしいです。特に平日のお誘い大歓迎です!
今回は、ゴルフを始めてから18年かかって、やっと100切りを達成することができたことについて書きました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。