こんにちは!
とーかいりん男爵こと東海林大介です!
今回はスイカを見ると思い出す、小学生の頃の思い出について書いてみます。
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スイカが大好き
この時期になると、我が家には、妻の実家から届くスイカやメロンなどで、果物が豊富にあったりします。
「孫の喜ぶ顔を見たい」という義理の父母の心遣いなので、とってもありがたいなぁと思って、親も便乗してありがたくいただきます。
そんなスイカを見て思い出した、少年の日の思い出・・・
小学校の夏休み
小学校の頃、我孫子市の「つくし野2丁目」にある高台に住んでいました。
「スイカ事件」は、その高台に住んでいる時に起きたんです。
3年生の頃には別の場所に引っ越したので、その記憶は小学1年生か、2年生の思い出のはず。
今年42歳になるので、7歳か8歳の夏のこの出来事は35年か34年も前のことです。
これから書くように鮮やかに覚えているということは、よっぽど強烈に心に刻まれているんだと思います。
その引っ越した場所というのが、隣の小学校の学区どころか、その隣の小学校の目の前なんです。
普通だったら、転校することになると思いますが、友達もたくさんできていたので「今までの小学校に通い続けたい!」と、当然思っていました。
それを親に懇願したわけでもないのに、いつのまにか、越境して同じ小学校に通い続けられることになったんです。
後から聞いたら、教育委員会にお願いしに行ったり、親が頑張ってくれたみたいなんですよね。
今度会ったら、そのエピソードを詳しく聞いてみようと思います。
スイカ事件
夏休みだったかどうか記憶が定かではないんですが、真夏の暑い日に、お母さんから「スイカを買いに行ってくれる?」とお願いされました。
スイカを売っているのは、高台の下にある「ヤスイ青果」だったかな?車で売りに来ていた人なのかな?
そのあたりの記憶も定かではありません。
外は暑いし、スイカは重いし。
「なんでボクが?」という不満でいっぱいです。
タイムマシンでその場面に戻れるなら、「文句なんて言わずに買ってきなよ!」って笑いながら言ってあげたい。
自分だってスイカ大好きだから食べるじゃん!って(笑)
スイカ、昔は大きかったですよね。って、昔から小さいのもあったのかもしれないけど、売ってるスイカはみんな大人の頭よりもはるかに大きいものばっかりだった記憶が残っています。
しかも、1,000円もしなかったような記憶もあったりなかったり。
自転車で坂を下って
1人で買いに行きました。
高台ですから、行きはよいよい、帰りはツライ。
スイカはネットに入れてもらえて、サッカーボールのネットのように、キュッと縛って、上の方に、持ち手が伸びていたと思います。
それを自転車のハンドルに引っかけて、坂道を上っていったんです。
カゴに入るような大きさではなかったですから。
その坂道、大人の足でも結構な急坂だったような記憶があって、もちろんペダルをこいで上るなんてことはできないので、ハンドルを押していきます。
で、子ども用の自転車はまだ小さいですから、地面からハンドルまでの高さはそんなに高くありません。
うまーく持てば、スイカは地面につかないんだけど、そうやって持つと、ものすごく大変。
だからといって油断すると、スイカが地面に届いてしまって、アスファルトにガリガリ。
抗議のひきずり
で、その時は「なんでボクがこんな?」という不満で心が満たされてしまっていたので、わざと怒られるような行動を取ってしまったんですよね。
そう。スイカを引きずりました。
地面にガリガリ。
ガンガン。
帰ってお母さんに怒られたら、「ボクだって大変だったんだよ」って言い返してやる!くらいの意気込みで。
ボロボロのスイカを見たお母さん
汗だらだらで、スイカを家に持ち帰りました。
怒られるぞ~と、今か今かと待ち構えていました。それなのに・・・
怒るどころか、思い切り喜んでくれました。
スイカは下の方がボロボロになっているのは見えているのに、怒るどころか、「この暑い中、こんな重いスイカを買ってきてくれてありがとう!」って思い切り喜んでくれました。
え?怒られないの?
ありがとうって・・・
その時、自分のしたことに対して、「なんという恥ずかしいことをしてしまったんだろう」という気持ちに・・・
「こんなことをお願いしてボクを困らせる、お母さんを困らせてやろう」という意地悪な行動に対して、お母さんはまったくフォーカスしなかったんです。
ただ、「買ってきくれてありがとう」って。
あー、これを書きながら泣けてくる。
お母さんごめんなさい。
きっとこういう「ほろ苦い思い出が人を成長させるのに一役買っている」のではないかと、思い出す度に感じたりします。
「できない」って言うよりどうやったらできるか
このエピソードを書きながら思い浮かんだことがあります。
スイカを見たり、息子がかんしゃくを起こして「できない!」って言ったりするのを見ると、その時の自分を思い出すということ。
息子が「できない~!」と言って、手足を投げ出して弱音を吐くのを見ると、「誰かがなんとかしてくれる!してくれー!」という気持ちが丸見えになっている気がします。
そんな時どうするかと言うと、
「『できない』って言葉はちったんは好きじゃないな。『どうやったらできるか』を考えてみようよ」って言います。
注)「ちったん」は息子がボクを呼ぶ時の名前です。息子に向かって話す時の一人称も「ちったん」です。
息子からは「お父さん」ではなく「ちったん」と呼ばれています
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さらに、このエピソードを書きながら思ったのが、「できた方にだけフォーカスした」我が母は、さすがだなぁと今更ながら思います。
この事件が起きたのが、ボクが小学1年生か2年生の時です。
息子が今、小学1年生なので、同じくらいの子どもだと思うと、自分と息子が重なって見えたりして、なおさら胸が苦しくなったりします。
自分も息子と向き合う時に、つい、できない方にフォーカスしてしまったりすることもあります。
でも「できていないこと」よりも、「できていること」を認められる父親でありたいな、と思いました。
今回は、小学校の頃のスイカ事件にまつわる、ほろ苦い思い出について書いてみました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。