こんにちは!
とーかいりん男爵こと東海林大介です!
今回は、些細な出会いをも大切にするとより楽しくなるかもしれない、という話について書いてみます。
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小才は縁に逢って縁に気づかず
中才は縁に逢って縁を活かさず
大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす
こんな名言を聞いたことはありませんか?
柳生宗矩とう人の名言のようですね。
ボクは、この記事を書くために、この名言を検索して初めて知りました。
動物占いは「愛情あふれるトラ」サイグラムは「11」
ということで、とーかいりんの人生の価値基準は「勝ち負け」なんですって。
これを初めて知った時は、とても納得感がありました。
動物占いについて書いた記事はこちら
とーかいりんは愛情あふれる虎|占い嫌いのボクが動物占いを好きな理由
https://rinsuke.com/dobutsu-uranai/
そもそも「占い」は信じない
占いとか、おみくじとか、そういったたぐいのものは、一切信じないし、むしろ冷めた目で見るタイプです。
これは今でも変わらないと思います。
だから、動物「占い」というものに初めて接した時に「きたきた~」と思って、胡散臭さしか感じませんでした。
でも、動物占いは「占い」という名前がついているものの、根本にあるのは、統計学なのだとか。
それにしたって、日本人を生年月日だけで12種類に分けるなんて(もっと細かく分けると60種類)、できるわけないじゃん!と思ったのは「占い」と同類に感じていたことが影響しています。
でも意外と合っていたりするんですよね。
これはサイグラムの初級編、応用編を学んだ時に、更なる確信に変わりました。
統計学なんだ、と。
人生の価値基準が「勝つか負けるか」
最大の特徴と言ってもいいと思うんですが、「人に負けたくない」という気持ちが人一倍強いんです。
じゃあ、ものすごい負けず嫌いで勝ちっぱなしだから、いつでも成績優秀か?
違うんです。
そもそも勝てないような勝負には「最初から参戦しない」ので、負けを認める前に、負けないように動いていたんですね。
絶対的に勝てない相手に対しては勝負を挑まないらしいのです(笑)
言われて納得。そのとおり。
こういうことも、後から気付いたことです。
他人は敵
だから、というかなんというか、「他人は敵」という意識が心の根っこの部分にはあったようで、以前はこんな感じでした。
家族、友人、同僚など以外はみんな敵。
街を歩く人はみんな敵。
だから負けられない。
友人や同僚でさえも、油断のならない相手。
人をほめることも「負け」
だからほめられない。
というタイプだと指摘されて、振り返ってみると「当たっている!」という感じでした。
だから、「他人の良いところをほめても負けではない」と言語化して理解してみると、今まで無意識のうちに避けてきた「ほめる」という行為が苦ではなくなったんですよね。
もちろん、本音100%に近い状態で生きたいと思っているので、今でもお世辞は言いません。
「良いな」と思ったら、相手にそのまま伝えるだけです。
それは「勝負に負けることではない」とわかったからです。
小才は縁に逢って縁に気づかず
中才は縁に逢って縁を活かさず
大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす
この格言に戻りますと・・・
小才は縁に逢って縁に気づかず
小才(凡人)は、目の前にある縁に気付かない。
だから、そもそも縁にならない、ということですね。
中才は縁に逢って縁を活かさず
「普通」の人は、これが「ご縁」だと気付いて、ありがたいな、と思ったとしても、それを活かすことができない。
もったいないことですよね。
一般的に、この中才が一番多いんじゃないかというのが、とーかいりんの肌感覚です。
ボクも自然とこのゾーンにいました。
大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす
これを文字通りに解釈すると、道ですれちがって、その後は一生会うことがないような人との縁でさえも、縁と感じて、活かしていくことができる。
そういうことが、言いたいのではないかと思います。
とーかいりんはどう考えるか
ボクは、常に「大才」のようにありたいと思っています。
できているかどうかは別の話なんですけど。
たとえば、飲食店に入って、ご飯を注文します。食べます。お会計をしてごちそうさまを言って店を出ます。
これ、ぼーっとしていたら、単なる食事の一連の流れですよね。
でも、店員さんだって人間です。
その人のことを大切に思う人がいるかもしれないし、大きな夢があるかもしれない。
自分が人生の主役であるように、その人も、その人自身の人生の主役であるはずです。
たまたま、「客」と「店員」という役割で同じ空間で、同じ時間をともにしているだけで、優も劣も、上も下もあるはずがないのです。
もちろん、接客のアルバイトを大学生の時にやってきた身として、ずっと営業マンとして生きてきた身としては、頑張っていない人や、不遜な態度の人に対する目は厳しくなりがちです。
でも、不慣れだけど頑張っているとか、自然な笑顔で感じが良いとか、そういう人は応援したくなります。
だから、そういう時には、客だからって偉そうにするなんてのはもってのほかです。
「たまたま客として対面しているけど、もしかすると一生の友達になっちゃうのかもしれない」とか
「年齢は20才くらいボクより若そうだけど、ボクにとって、何かの師匠になっちゃうのかもしれない」とか
「この人はもしかしたら縁がないのかもしれないけど、この人を通じたその先には、まだ見ぬ、ソウルメイトが待っているのかもしれない」とか
そんなことを想像するだけで、楽しくなってしまうんですよね。
実際に、アルバイト先に来たお客さんの野球チームに参加してみたり、ある店の手伝いに行ったらアルバイトの大学生と友達になったり、何が起こるか本当にわかりません。
どう考えるかは自由・・・しかも無料
「客だからって偉そうにするのも自由」
「上のような感じで妄想してひとりワクワクするのも自由」
だったら、後者のように考えて、可能性を楽しむことは、同じ時間をすごす時にすることとしたら、オトクだと思いません?
そうなんです。
同じ時間をすごす時とか、すごさなくちゃいけない、という場合には、「つまらないな」と感じながらよりは、「どうしたら楽しくなるんだろう」って考えてみる。
そんな考えにも似ていることだと思います。
今回は、出会う人みんな、友達になる可能性があると考えると、色々楽しいかもしれない、という話について書いてみました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。